グローバル教師と地球の子ども達

30カ国以上の子ども達を、アジアとヨーロッパのインターナショナルスクールで教えた教師が考える。これからの時代の教育とは?教師とは?子育てとは?

Why is a banana yellow?

私の友人から聞いたお話。
 
友人の元同僚は、イギリス・ケンブリッジ大学卒。ケンブリッジといえば、チャールズ・ダーウィンアイザック・ニュートン、スティーブン・ホーキングなどを輩出した、誰もが知ってるエリート大学。
入試には口頭試問があるというので、「あなたはどんなこと聞かれたの?」と尋ねたら、
「Why is a banana yellow?どうしてバナナは黄色いのか?」
だったらしい。
 
子どもにこのような質問をされて、困ったことはないだろうか。空はなぜ青いの?虹はなぜ半円なの?そんな質問が、超一流大学の試験になるとは。また、問題の据え方が非常にIB的であるところも私にとっては興味深い。
おそらくこの答えには、様々な切り口があるのだと考える。エチレンによる効果であるという切り口、人間の視覚に見える黄色を考察する切り口、はたまたバナナそのもののルーツや同種の植物との比較からの切り口、などなど。私はケンブリッジの試験官ではないので、どのような答えが正解なのかは全くわからないが、彼らが何を学生に求めているのかということは察することができる。どんな切り口なのか、またどれだけ多くの切り口を持っているのか。それを見るのだろう。
要は思考力を問うているのだ。エチレン機を理解し記憶はしても、その知識をどう論理に結びつけるのかということが重要なのである。知識豊富な学生よりも、どこまでも突き詰めて考えることができる人材、多角的な視野から物事を見ることができる人材を求めているのである。
 
少し前に、とある日本の国立大学院の試験問題を見たことがある。ずらっと並んだ専門用語。自慢にならないが、その分野で仕事をし、各地で研修を受けたり専門的な本を読んで学んでいても見たことのないような単語だらけだった。問題はそれらを「使用して論述しなさい」というもので、特にテーマがあるというわけではなく、用語の記憶力と文章組み立て力が問われる問題だった。所属研究室の教授の著書を全て読み、端から端まで覚えていればきっと完璧に答えることができるのだろう。そういう論述問題だった。
 
どちらが良いとかそういう話ではない。おそらくは、大学あるいは大学院を卒業した理想人物像に対する考え方の違いなのだろう。学問に対する文化の違いとも言える。
 
けれども、グローバル教師としてはこう言いたい。
「大学は学歴のゴールではない。学問の追求の始まりである。」
世界にはばたく力をつけたいのなら、やっつけ主義の学習方法を根本的に見直さなければならない。それはここ最近皆が気付いていることで、だからこそ「問題解決型の学習を」だの「アクティブ・ラーニングの促進」だのと公立小中学校でも取り組みを始めている。でも、結局は大学に入るための受験勉強に収束してしまうのならば、それは何の意味もなさない。さらに、不景気のあおりを受けて大学生活後半はせっせと就職活動に励む学生が多く、今や大学はただ社会に出るまでの所属機関に他ならない。私自身、大学では教員資格を取ることに焦点を定めただけで、幾冊もの本を読みふけり徹夜で課題に追われたなどという、欧米人の同僚から聞くような大学生活は送っていない。そんな中で、あと3年で国際バカロレア高校がぐっと日本国内に増えるとのニュースがあったが、IB型の知的好奇心を満たし多角的な視野を正当に評価する大学が、いったい日本にどのくらいあるのかと問いたい。
 
バナナはどうして黄色いのか。そういうシンプルなこの世の疑問を突き詰めていくことが高等教育の原点なのではと思う。

 

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