グローバル教師と地球の子ども達

30カ国以上の子ども達を、アジアとヨーロッパのインターナショナルスクールで教えた教師が考える。これからの時代の教育とは?教師とは?子育てとは?

無くなる「書きかた」

先日、フィンランド教育省が「来年度より筆記体を教えるのをやめる」と発表しました。代わりにコンピューターでのタイピングに力を入れることになります。その方が実社会に役立つという判断です。普通にブロック体のアルファベットを書く練習もそれほど教え込むことはしないようです。読めて正確にタイプできれば、きれいに正しい筆順で書けなくてもいいということです。
 
通常、学校ではアルファベットのブロック体を一通り教え、単語も普通に書けるようになった後に筆記体を導入します。だいたい3年生位がどの国も目安でしょうか。
数年前にカナダでも、ほとんどの州が「原則筆記体を教えない」という方向に落ち着きました。きれいに正しく書く練習よりも、他のことに時間を割こうというわけです。
 
書き方、特に筆記体においては、それを教えることによる利点も研究されています。手先の巧緻性を高めるだけでなく、紙の上に書きとどめることで記憶を助け、考えを整理し、創造性も高めるというものです。
米ワシントン大学が小学2・4・6年生で書き方の練習を多くした子どもを研究したところ、普段タイピングばかりしている子より書くのが速いだけでなく、表現力も豊かだったという結果が出ています。また、米インディアナ大学で行ったMRIを使っての実験では、コンピュータースクリーン上の文字を見つめるよりも、手書き文字の方が脳により刺激があったという結果が出ています。
 
フィンランドでは無論こういった先行の研究を受けて対策を講じていて、絵画や造形の時間を増やすことで、手先の巧緻性を養い、指先を使うことでの脳のはたらきの活性化というものを促す、と示しています。
 
考えてみれば、普段の生活の中で文字を書くということが随分と少なくなりました。それでも私は仕事柄、筆記ということをする方だと思うのですが、タブレットが教室内で導入されているので、課題を一斉に送信してそれぞれがネットを使って調べ学習をし、それをさらにクラウド上でクラスでシェア、プロジェクトもそのまま保存してスマートボードでプレゼン、というのが当たり前になっている毎日で、劇的に板書が減っているのを感じます。現に日本語も英語も、私はタイプの方がうんと速いです。
 
日本の小学校では6年間で1006字の漢字を習います。全て書き順も教えます。とめ、はね、もうるさく言い始めると、もうそれだけで毎日の国語の授業が終わっていくほどの量です。
今、我々が漢字をどう使っているかと考えると、多くの場合が「変換」時に「選ぶ」という作業でしょう。とすると、正確な漢字を使えればいいので、書き順やとめはねにこだわる必要がなくなってきます。むしろ、1つの漢字にこだわるよりも語彙を増やしたほうがうんと実用的です。
 
それでも、「では、漢字テストはこれからタブレット上で選択方式にしましょう」というのは、なぜかどこか寂しい気がします。やはり文字を書くということは、その言語に対しての文化的な行為であるような気がしてならないのです。非合理的であるとわかっていても、捨てきれないのが文化的行為。知識が豊かであることは、決して合理性や迅速性を追求することではないと思うのです。
学校の教育は、時代のニーズに合わせて変化していくべきではあると思います。でも同時に普遍性も必要とされる。想像されていたよりも速くその2つの間が広がっていって、全てをカバーできなくなってきているのが現状です。文字数の少ないアルファベット使用言語の国の教育が、やむを得ない選択を迫られているのも無理もありません。
 
「でも、やっぱり文字が手で書けなくなるのって、ちょっと寂しいね」という世代がいつかいなくなるその時まで、私たちは必死で両手を伸ばして時代と文化をつなぎとめるしかないのかもしれません。