グローバル教師と地球の子ども達

30カ国以上の子ども達を、アジアとヨーロッパのインターナショナルスクールで教えた教師が考える。これからの時代の教育とは?教師とは?子育てとは?

サンタが来ないこと

インターナショナルスクールに勤務していると、世界には様々な宗教が混在していることに改めて気が付きます。また、気をつかう場面にも遭遇します。

とりわけこのシーズンは繊細になります。街の中がクリスマスのデコレーションで輝き、子ども達がサンタからのプレゼントを心待ちにするウキウキの時期だと誰もが思いがちですが、サンタが来ない子どももいるのです。
 
例えば、スウェーデン人のTの家庭はユダヤ教。クリスマスは祝いません。プレゼントもありません。ツリーも飾りません。だから「みんなでクリスマス飾りを作りましょう」とか「サンタの塗り絵」なんてクラスではできません。
 
同じくユダヤ教のカナダ人Nちゃんは、クリスマスコンサートという名前の行事に参加しません。多くのインターナショナルスクールではそういう行事の名前を「ウインターコンサート」のように、中立な名前をつけます。歌も、宗教色のない「そりすべり」や「ジングルベル」などにします。
 
アラブ首長国連邦から来たKはイスラム教なので、クラスの保護者達が計画したクリスマスパーティーに1人参加しませんでした。学校の外の事なので我々は関与しませんが、その後クラスでパーティーの話が出て「どうしてKは来なかったの?」となった時は、非常にいい学びの機会としました。
世界にはいろいろなお祝いがある。そのお祝いはみんな一緒ではなく、それぞれが選択するものである。信じるものや国が違えば、それらが違うのは当たり前。大切なことは、その違いを尊重することなのだ、と。Kがいてくれるおかげで、我々はまた違う文化を知ることができる。それはとてもありがたいことなのだよ。
大人はこういう問題を難しく捉えがちですが、子どもにとってはそれほどではありません。金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」ではありませんが、「みんなちがって、みんないい」ということを、ごく自然に理解します。
 
日本人はお祭り好きなので、クリスマスやハロウィンなどの(アメリカ寄りの)西欧文化行事も抵抗なく祝います。それを悪いとは思いませんが、できれば、それら行事の多くは宗教的背景があるということを再認識してもらいたいものです。
宗教の違いにより、人々は何度も争いを繰り返してきました。信仰の違いを認められずにいがみ合う姿は、今も世界の大きな問題です。
日本人の我々は、幸運にもそういう争いに遭遇する機会があまりなかったので、特に気をつかう必要もなく過ごしてきました。でも、何かとグローバル化と言われる時代になってきた以上、対岸の火事を見て見ぬ振りはできなくなってくるでしょう。
 
違いをまず知り尊重し合うことが、本当にグローバルな人間への一歩となるのではないでしょうか。