グローバル教師と地球の子ども達

30カ国以上の子ども達を、アジアとヨーロッパのインターナショナルスクールで教えた教師が考える。これからの時代の教育とは?教師とは?子育てとは?

ノーベル平和賞受賞者に敬意を表して

今日はこのことを書かなくてはならないでしょう。
マララ・ユスフザイさんとカイラシュ・サティヤルティ氏がノーベル平和賞を共同受賞、授賞式が行われました。あちらこちらで彼らの活躍については書かれているので、ここであえて説明する必要もありません。
 
私はマララさんの本を、出版後すぐに読みました。もうやみくもに、読まなければならないと感じたからです。
彼女は教師でもなく、教育研究者でもない。まだ自らが教育を受けている立場です。その彼女が命をかけて教育の必要性を訴え続ける。声なき声を世界に発し、本当に平等な教育が世界中に施されることを願い行動に起こす。これほどまでに強烈なムーブメントはないでしょう。
 
授賞式のスピーチで彼女は、世界の指導者たちに対しても訴えかけました。自らの子どもにはいい学校で高等教育を施すほど教育の大切さを痛感しているのに、なぜそれを地球上の他の子どもたちに当てはめて考えることができないのか。読み書きが少しできるだけでは、子どもたちがその国をよりよく変えるほどの力をつけることができるはずもないのに、なぜより質の高い教育を全ての子どもたちに与えないのか。
 
22億人いる世界の子どもの15%が児童労働者。11%の女の子が15歳未満で結婚。中等教育以上を受けている子どもは53%。これが世界の現状です。決して見逃せる規模の数ではないでしょう。
 
インド人のKくんが教えてくれました。ぼくは夏休みや冬休みにインドに帰るとき、必ず見たくないものを見ることになる。空港からおじいちゃんの家に行く間、車から見える子どもたちは靴をはいていない。パンツを履いていない子もいる。彼らは学校にも行ってないんだって。同じ国の子どもなのに、すごく貧しいの。そこに停まっちゃ危ないって言われてるから急いで行くんだ。悲しいよね。僕たちは学校に行けるから彼らの分まで頑張らないといけないんだ。
 
イギリス人のHちゃんは、新しく買ったスポーツシューズを朝の会で披露して、こう言いました。この靴は、私たちと同じ年の子どもが作ってるんだって。学校にも行かずに。Child Labourっていうの知ってる?だから私ね、この靴はつぶれるまで毎日履かないといけないの。
 
 
グローバルな教育は、特権教育でも、ましてや語学教育でもありません。現地に赴いたり、異なる国の人に囲まれなければ成り立たないわけでもありません。
日々の世界の出来事にどれだけ関心を払えるか、それをどれだけ自分のものにできるか、学びと結びつけることができるか、そういう基本的なことの繰り返しだと思うのです。その上で、数学を学ぶ、物理を学ぶ、語学を身につける。そうして教育は実っていくのだと思います。少なくとも、自由に教育を受けることのできる環境にある私たちには、それができるのです。
 

 

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女