グローバル教師と地球の子ども達

30カ国以上の子ども達を、アジアとヨーロッパのインターナショナルスクールで教えた教師が考える。これからの時代の教育とは?教師とは?子育てとは?

頑張ったね、では評価にならない

国際バカロレアPYPでは、日本で言えば6年生の卒業時プロジェクトとして、エキシビジョンと言われる行事があります。全体テーマに沿って、自ら課題を見つけて、それを調べ、まとめ、発表するものです。要するにこれは、これまでPYPで培ってきた力をフルに発揮する集大成の行事です。

f:id:ms-kaai:20150227193244j:plain f:id:ms-kaai:20150227193541j:plain

始めてから6週間ほどかけて発表までもっていきます。プロジェクトを一定期間で自分の目標までもっていき、さらにプレゼンで評価を得る、というのは、さながら大人の世界のようですが、まさに同じように子ども達にもその過程を踏ませます。

例えば、ミーティング。担任の先生だけでなく、学校中の先生が「メンター」と呼ばれる指導者として1人ずつついてくれ、リサーチの仕方、まとめ方、プレゼンの方法などを一緒に考えていくのですが、そのアポイントも自分で取らなくてはいけません。ミーティング終了時には毎回議事録とレポートを書き、次回の予約を入れ、それまでにアドバイスされた点を改善したり、自分でできることを済ませておくことが要求されます。
また、スケジュール管理もしっかりしていかなければいけません。発表のビデオ作りに時間をかけてしまって、最後数日は寝る間も惜しんで配布資料を作り上げた・・なんていう話もよく聞きます。先生たちは、出来上がりの確認はしますが、一緒に放課後残ってお手伝いはしてくれません。自分でどの範囲までできるのか判断して計画をするのも、学びの1つだからです。(この辺はダラダラ残業する日本のサラリーマンに教育したいところでもありますね) 学校の時間内にできなければ、当然自宅に持ち帰るなり図書室に残るなりして、自分で仕上げなければいけません。おうちの人に手伝ってもらう?そんなことができないくらい、過程のミーティングや友達とのディスカッションで問題を掘り下げ、周囲も自分も真剣に取り組んでいるのです。甘えが許されない状況だということを、自然に体感していきます。
f:id:ms-kaai:20150227193308j:plain f:id:ms-kaai:20150227193307j:plain
このようにシビアな6週間の後に、エキシビジョンを迎えるのですが、毎年心底感心するようなプレゼンをおこなう子どもがいるのが、私にとっての楽しみですが、また、多く学ぶ機会でもあります。中でも私がいつも襟を正す思いなのが、周囲の大人の態度です。
まずリハーサルの段階で、先生たちや在校生にプレゼンをします。その時先生たちは、必ずフィードバックや質問をするように言われています。「今回の結果をもって、次にさらに問題を提起するとしたら、どんなことだい?」「なるほど、ではここのところは実際どうなってる?詳しい例はある?」「このビデオはいいねえ、もっとじっくり見られるようにしたらどうかな」など。
エキシビジョンは保護者のために夜にも行うのですが、駆け付けたお父さん、お母さんたちはどの子どものプレゼンも熱心に聴き入ります。時には配布資料にメモをしながら。当然厳しい質問も出ます。
子ども達はフィードバックに耳を傾け、質問にも熱く答えます。もちろん子どもの答える内容なのでつたない内容のこともありますが、それでも6週間深く考えた子どもは、語り口から自分なりに問題点を追求した跡が感じられます。でも、それに対し、決して上から目線ではない、大人の態度。それに私はいつも「あ、そうか」と気付かされます。
うんうん、頑張ったねー。すごいー!ではなく、対等に評価する。子どもが真剣だから、こちらも真剣に聞く。一緒に考える。ただ褒めるだけではない正当な評価を下す。そういう大人の姿勢があるから、子どものプレゼンが本物になるのだと思うのです。
 
目標に向かって頑張るのは、ある意味自己責任として当然の事。そして、目標を達成するのにどう頑張るかは個人の裁量。だからそこを評価するのはナンセンスなのです。頑張ったのか頑張らなかったのか、そこがプロジェクトとして大切なのではなく、どういう結果を導き出したのか、どのような考察をおこなったのかということが重要なのです。
褒めてあげることはもちろん大事です。でも子ども達は褒めてもらいたくて学ぶのではないのです。むしろ褒めることは結果より過程の段階で必要なのかもしれません。自らの学びが正当に認められることは、「えらかったねー」「すごーい、感動しちゃったー」と何度も言われるより、はるかに意味のあることで、それは大人が自分の立場にかえって考えれば同じであるということがわかるのではないでしょうか。