グローバル教師と地球の子ども達

30カ国以上の子ども達を、アジアとヨーロッパのインターナショナルスクールで教えた教師が考える。これからの時代の教育とは?教師とは?子育てとは?

お年頃との付き合いかた

日本では小学校6年生に当たる学年が、第二次性徴についての学習単元に取り組んでいます。
単純に保健体育的な知識を習ったり、理科的に動植物の繁殖や受精の仕組みなどの学習もしますが、これは「自分自身の変化にどう向き合うのか」ということが根底のテーマです。
例えば、文学を通して。「The Giver 記憶を伝える者」を読む。社会のルールや慣例などに疑問を持ち始めるこの年齢にぴったりの本です。そこから、自分たちが変わっていくことはどう社会的に意味を持っていくのか、などを考えていきます。
単元の初めに、第二次性徴についてのブレインストームが行われ、知っていること、知りたいこと、わからないこと、などを書き出しました。そこでは単純に体の変化への疑問や好奇心、また「どうして生まれつきそうではなく、途中から性差が開いていくのか」「感情的になりやすくなるのはなぜか」という掘り下げた疑問も多く見られました。中には不安を漏らす子もいて、「どうして子どものままじゃいられないのかなあ」という書き込みもありました。

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アメリカ人のAちゃん。最近ちょっとだるい。体が前のようにしなやかに動かなくなった。バカ話に騒ぐ男の子達の、ちょっと無神経な発言にいちいち腹が立つ。先生の言うこともなんか違うなあと感じることも増えた。仲良しの子も時々テンション高すぎて、ほっといてほしい時もある。
Aちゃんは、それまで、それほど精神的に大人びているわけでもありませんでした。でも体の成長がちょっと早かったのです。まだまだ子どもの心を抱えながら、ホルモンが感情を左右するようになる。そのギャップに一番戸惑っているのは本人でしょう。
 
自由な設定で物語を書く時間に、Aちゃんから質問がありました。「自殺っていう言葉を使ってみたいんだけど」。そこだけ聞くとドキリとするけれど、よく聞けば、主人公の女の子は幼い頃に母が自殺してしまったという秘密と苦悩を抱えていることにしたい、ということらしい。普段(これは多くのインターナショナルスクールでそうだと思う)、学校内では”暴力的な言葉”、”相手に不快感を与える言葉”というものの使用を、文章に書くことも口頭で使用することも厳しく禁じています。「殺す」「死ね」などだけでなく、ピストルを工作で作って銃撃戦ごっこや、誰かを縛るなどの行為もダメです。よって、「自殺」という言葉を果たして文章内で使っていいものか、Aちゃんも判断に迷ったのでしょう。
「それは、主人公の心の闇を表すのに、重要な要素になるのかな?」ときいてみます。すると「うん、だって自殺って人に言えないじゃん?でもすごい大きな悩みで、で、旅に出て、それをちゃんと話せる友達ができるっていうのがエンディングなの」と。
Aちゃんは今、心と体のギャップを埋めていこうともがいている最中なのかもしれません。極端な表現を使うのは、まだ繊細な感情を表す語彙が豊富でないからだろうと判断し、「それならいいんじゃない、書いてごらんよ。ただ、自殺に注力するのは、話の筋とは違うよね」と答えました。いつもはだらっとして窓の外を見ていることが多い彼女は、すぐに猛然とノートに鉛筆を走らせ始めました。感情エネルギーの発散、そんな言葉がぴったりくるような姿でした。
 
 
子どもとして誰かに守ってもらいたい一方、何かに突き動かされるように感情を爆発させる。大人のように扱ってほしいけど、突き離されたら生きてはいけない。「ほっといて!」と言うくせに「宿題わかんない手伝って」と来る。思春期の手前は非常に厄介で、ともするとただ理不尽なワガママを言っているように見えるでしょう。まるで小さな頃に戻ったようで、なのに可愛げはないという(笑)。
しかし、子どもなりの心の葛藤を、ただのワガママに終わらせてしまうかどうかは、周りの大人次第です。理不尽なものは理不尽であるときちんと説明をすること。子どもの感情に振り回されることなく、その感情の発散の正しい方向を共に見つけてあげること。そしてそっと離れて見守ること。
 
近年では、全体的に体に変化が始まる年齢が少し早まってきているように感じます。一方、精神的な成長はというと、その流れとは言い難いです。つまり、心と体のギャップを抱える子どもが増えているのではないかと思うのです。歯の生え変わりと第二次性徴の関係も研究されていますが、生え変わりが半分まできたら、お年頃に向き合う準備を始めてもいいかもしれません。