グローバル教師と地球の子ども達

30カ国以上の子ども達を、アジアとヨーロッパのインターナショナルスクールで教えた教師が考える。これからの時代の教育とは?教師とは?子育てとは?

各国教育事情を垣間見る

スウェーデン人Mは、日本の幼稚園だったらいわゆる「こまったくん」。なによりじっとしているのが嫌いで、お絵かきも1本線を描いて、3秒で終了。字なんてまったく興味ナシ。数も歌いながらなら数えるけど、静かな作業は嫌い。

でもMがそんなに特別ではない。ほかのスウェーデン人の子も、字に興味もなく、鉛筆も適当に握る。やりたくないことはやらないし、できなくてもそれほど気にしない。親たちも、「まあ、いつか読めたり書けたりするから、いいのいいの!」とあっけらかん。

スウェーデンでは、学齢が7歳であることもその理由だし、その前の幼稚園でも、どちらかというと「社会性を身につける」ことが中心で、あまりアカデミックなことは重視しない。だから、ということではないけど、一見落ち着きもないような感じでも、友達づくりは実にうまいし、誰かが困っているとさっと助けにいく。

 

クラスには韓国の子ども達も多く、彼らは与えられた課題は、完璧にできるまで粘る。負けず嫌いのところもあるので、より良い成果を残そうとする。

大学進学率が世界一の韓国では、就職のとき「海外での生活経験」というのが今最もポイントを稼げるそうで、それがたとえ「5歳のとき、幼稚園」というのでも履歴書に堂々と書くことができるのだそう。そして、英語が駆使できればもう鬼に金棒。

というわけで、学校にいる韓国人の家庭は、非常に熱心に子どもに教育を施している。5歳でも英単語も正確にかけるし、文法も教え込まれているし、キレイに字を書くことができる。実に筋の通った子育てへの姿勢だ。

 

さて、日本人はというと。これが「中間をいっている」のだ。ほどほどに友達ともうまくやり、ほどほどに読み書きもできる。よく言えばバランスがいいのだけど、悪く言うと「どっちつかずの中途半端」。

周りを気にして自分の意思をはっきり伝えられないので、つい、大勢の中では埋もれてしまいがち。いい意味ではどこでも馴染んでいける。嫌われることはない。

 

どの国がいいとか、悪いとか、という議論をしたいわけではないけれど、日本の教育機関が「国際化」ということを念頭に置き始めているのなら、まずは自分達の足元を固めることが先なんじゃないかと思う。

やたらと「コミュニケーション」という言葉がもてはやされているようだけど、「国際化=みんなと仲良く」という考え方だけでは、永遠に真の国際化は望めないんじゃないか。