就職活動
「就活」って略すらしいですね。私はしませんが。
ボスから「教員向け就職フェアに参加してみなさい」と言われた。「自分がインターナショナルスクールなのか、日本の学校なのかどっちに向いているのか見えるかもしれないよ」と。
フェアでは、世界中のインターナショナルスクールから採用担当者がやってきて、一気に面接を行う。場所がロンドンだったことと、参加費が無料だったことで、のこのこ行ってみた。
しかし、この年でこういう経験をするとは思ってもみなかった。そして、私ってなんて今までラッキー続きだったのかしらとも思った。あっさり今の学校にも入っていけたし、それなりに努力はしたけど正規で働いているし。ちょっぴり、「インターナショナルスクールでいけるかも、アタシ」って思いあがっちゃってきていたところに、がつーんと現実を突き付けられた感じ。
100ほどの学校が世界中からやってきて、500人ほどの就職希望者が集まったフェアは、見ているだけでもすごい。なのに、日本人はおろか、アジア人が自分だけ。完全に尻込みしてしまった。
そして恥ずかしながら、そういう就職フェア自体も初めて(日本では公立校教員は単純に転勤を言い渡されるし、私立教員の中途採用はひっそり学校ごとで行う)だったので、どうやって何をしたらいいのかもわからない。おろおろしていると、みんな争うように各学校のブースに並び、面接のアポを取っている。そこですでにアピールを始める。
中には大きなアルバムみたいなのを持っていたり、自作のDVDみたいなのを配ったりしている人もいた。私はCVの白黒コピーを手にしているだけ。「よろしくお願いします」とペコリ頭を下げるのが精いっぱい。そしてその時点で、「事前にうちから連絡いってますか?あ、ない?じゃあチャンスがないと思ってください」とすげなくされることも。(byスイスの大きな学校)
1つだけ日本から来ていた学校は、採用担当者(日本人)が私の顔を見るなり、ものすごいゆっくりとした英語で、
「英語はできるのか?」(某TO**Cで満点をとりましたが)
「本当に英語で教えているのか?」(CVを見ればわかりますよね)
「英文科を出ていないのか?」(いや、英文科じゃ幼稚園教師になれませんって)
「英語教師の免許は持っていないのか?」(幼稚園教師ですって)
と質問の後、「他の採用担当に聞かないと何とも言えない」と、アポを取らせてもらえなかった。他の学校が、IBプログラムの経験や現在の担任クラスを尋ねてくるのに対し、やたら英語だけに絞った質問をしてきたのが印象的だった。
目が黒く髪の黒い私は、日本では他の国の教員たちと同じ土俵に立たせてもらえない。
予め登録してあるので、先方からアポをかけてくることもある。私は初日に2校からメモをもらった。どうせ誰もとってはくれないだろうと思っていただけに、心臓が飛び上るほど嬉しかった。けど、横を見ると、抱えきれないほどの学校パンフレットを送られている人もいる。
この人と私は、何が違うんだろう?私は日本人だからだめなのかな?
暗い気持ちでいたら、うちの教頭から電話にメッセージが送られてきた。
「何百人いたって、君は1人しかいないんだ。前を見るんだよ」
連絡をくれた2校と、ブースでアポのとれた1校、計3校と面接をすることになった。
中国、ベトナム、そしてイギリスの学校である。中国とベトナムには全く行く気持ちがなかったのだけど、連絡をくれたので礼儀として伺うことにした。
中国の学校は、それこそモダンで、大きなプールも図書館もある。教員用の豪華マンションは徒歩圏だし、給料もいい。彼らによると、世界各国からの教員を揃えたいのにアジア人の正教員がいないので、私のような存在を探していたとのこと。なるほど。オーストラリア人の校長もアメリカ人の教頭もとても感じのいい人たちで、一緒に働いたら楽しそうだ。けど、中国は私の行きたいところではない。
ベトナム。イギリス人の女性校長とは40分近く話をした。私の経歴に大いに興味を持ってくれたからだ。だかしかし、大きな問題に直面した。私の学歴だ。
私はまっとうに日本国の1種教員免許を2つ持っているけれど、大学は家政学部卒だ。これが引っかかってしまった。外国人が就労ビザを取るにあたっては、「何で学位をとっているか」というのが大きな問題になる。つまり、ベトナムで教員としてビザをとるには、教育学部卒でなければならないのだ。(後にこれはベトナムだけでなく、ドイツでも同じ規定であることが判明。)
「もったいない!何とかうまく翻訳しなおせないの?あなたの学位!何?Home Economicsって!」・・・よって、彼女があとで直接学校の事務に連絡し、ビザ関係の手続きで問題が発生するか確認をとってから連絡をくれることになった。
結局翌日、不採用の通知。彼女の手書きメモで、「確認しましたが、ビザがとれないことがわかりました」と添えてあった。フェアの後のカクテルパーティーで彼女に会って、「ねえ、旦那さんに仕事とってもらってこっちにいらっしゃいよ!そしたら採用できるから!」と言ってもらった。誰かに認めてもらえたのは嬉しかったし、そうやって心を砕いてくれたことに本当にありがたく思った。
そしてイギリス。だめだろうなーと思いながら並んだブースで、「この時間なら空いてますよ」と、さらりと美容院の予約ばりにアポを取ってくれた。教頭と教務主任と話をしたけど、どちらも大変に厳しそうな女性・・・それでも熱心に話を聞いてくれたけど、まったくもって自分の力が及んでいないことを肌で感じた。別室では事務担当者が学校の施設及び給料説明をしてくれて、こりゃすばらしい!と思ったけど、何か夢みたいな感じがした。・・・そしたら翌日、不採用の通知。ま、これは納得。
緊張の連続でくたくたになった。言いようのない挫折感と不安感にも襲われた。
これが、世界に出るということなのか。教員というのは、日本では安定職である。そういうぬるま湯生活が当たり前だと思っていた自分への世界の洗礼なんだろう。
帰ってから学校では、「3つも面接?すごいことなんだよ、それって!!!」とみんな大興奮していたけど、だからと言って私の気持ちは晴れない。
現実は厳しい。