グローバル教師と地球の子ども達

30カ国以上の子ども達を、アジアとヨーロッパのインターナショナルスクールで教えた教師が考える。これからの時代の教育とは?教師とは?子育てとは?

スピーチとは プレゼンとは

4月29日、安倍首相は日本の総理大臣としては初めて、米国上下両院の合同会議でスピーチを行った。45分間の英語スピーチ、後に詳細な指示を書き込んだ手元の原稿を写した記事が米紙に報じられたが、それを見ても相当に研究と練習を重ねて当日に臨んだことがよくわかる。
45分は通常の小学校の授業の長さなので、その間話し続け、人々の集中力をキープさせることだけでも骨の折れることで、また、相当な準備が必要であると言う事は私にはとてもよくわかる。加えて、その中に国家としての重要な事項を盛り込まなければならないとなると、当たり前だが工夫もかなりのものであると考えられる。
 
やれ発音が悪い、棒読みだ、中には「高校生のスピーチの方がマシ」と揶揄する議員もいたらしいが、あなた方はスピーチと言うものをはき違えていませんか?と問いたい。
「顔を上げる」などの書き込みを嗤う人もいるが、逆に、なるほど、プレゼンというものはここまで計算されたものであるべきなのだと学んで欲しい。
 
昨今、やれスピーチ力だプレゼン力だと言われて、教育の場にも積極的に取り入れる姿勢が見られる。特に英語でのそれは最強武器のように扱われる。しかし、残念なことに、実に表面的な部分しか評価がされていない。
私の知り合いで、TEDトークでスピーチや米TV局などでインタビューに答えたりなどよくされる方がいるが、その方へのフィードバックに「英語うまいですねー」などと羅列されていると、少々がっかりする。彼は確かに英語がうまいけれども、それ以上に、素晴らしい内容の事業を相手にしっかりと伝わるように言葉や表現に工夫をしていること、だからこそ海外でも高い評価を得ていること、そこが「これぞグローバル」と我々が学ぶ点なのではと思うのだ。
 
スピーチは、芸能とは違う。立て板に水、でカッコよく話せればいいわけではない。中身、内容が問題なのだ。その中身を使って、演出を交えながら相手を説得するのがプレゼン。今回の首相のスピーチにも、身振り、手振り、間の取り方、声のトーン、視線の配り方、様々な演出が盛り込まれていた。くれぐれも間違えないで欲しいのが、これは彼が英語スピーチに慣れていないから周りが必死に助けた、のではないということだ。オバマ大統領にもライターや演出家がいる。原稿読み上げ型、紋切り型のスピーチがまかり通るのは日本の政治家くらいのものだ。
 
話す側にこれだけの工夫をさせるには、聞く側の質の向上も条件となる。ただ結果を聞き流すのではなく、そこに何が述べられているのかを判断する力が、プレゼン力と相乗的に必要になる。表面的なスピーチは人を動かさないし、いいプレゼンは踏み込んだ深い議論に発展する。
スピーチがプレゼンがと言う前に、我々はきちんと聞く力を持っているだろうか?
 
ネガティヴポイントを列挙するのは、最も簡単な評価方法だ。今後日本の首相が英語でスピーチすることが当たり前となるのか、であれば今回我々は何を教訓にすればいいのか。揚げ足を取る暇があったら考えたい。